CHRONO LIFE

クロノライフ

人と腕時計の多様なあり方をご紹介するWINGオリジナルのライフスタイルマガジン「CRONO LIFE(クロノライフ)」。このメディアでは「時に寄り添う」をコンセプトに、時計にこだわりをもつゲストをお招きしその方の人生観や時計への想いをご紹介します。

第一回のゲストはWING創設者であり、事業家の石橋喜代志さん。
2020年、WING設立36周年を機に代表取締役社長から会長にご就任。
これまで歩まれてきた人生とその思い、時計の魅力についてお話しいただきました。

Kiyoshi Ishibashi

Episode 1
石橋 喜代志 Kiyoshi Ishibashi

横浜から大阪、そして金沢へ。波乱万丈な激動の半生。
本日はよろしくお願いいたします。はじめに、ご自身についてお聞きかせいただけますか。
時計は昔からお好きだったのでしょうか?
学生の頃は全く時計に興味が無かったですね。石川県にも縁はなく、横浜で生まれ育った浜っ子です。専門高校を卒業した後は父親の経営する建設会社に就職しました。事業を受け継ぐつもりだったので仕事に慣れるまでは必死でした。しかし業績が傾いて会社はある日突然倒産、家族もばらばらになりました。僕も夜逃げ同然で一人大阪へ向かったのが20歳の時ですね。

大阪に着いたのはいいものの、すぐに金も底をつきそうになって。偶然カー用品卸し会社のアルバイト求人を見つけました。倉庫の2階を借りて暮らしながら、倉庫番兼雑務をしているうちに営業活動も担当するようになりました。それまで手をかけられていなかった北陸エリアの新規開拓を任され、2ヶ月ほどで数字をあげると金沢に新店舗を開くことになって。そこでも成果も出し、小松に作られた新店舗も半年ほどで軌道にのりました。
4年目の24歳の時には北陸の売り上げが5倍くらいになり、いよいよこれからという時にその会社も倒産したんです。
WING会長の石橋喜代志様。幼少期の頃から現在に至るまでのお話しをご自宅でお伺いさせていただきました。
最近のお気に入りはBREITLING NAVITIMER。時計の使い分けは、その日の気分で。
自分だけがぬくぬくと暮らすという生き方は、選べなかった。
大変なサラリーマン時代をご経験されたのですね。
自ら事業を起こされたのは、そのご経験からでしょうか?
もともと「事業家になりたい」という強い願望があったわけではないんです。中小企業はもうやだなと思っていた時、大手商社からうちに来ないかと声がかかりました。ちょうど北陸進出を計画していたようで、北陸の卸しで7000万くらい売り上げをあげていたこともあってか、僕の事を知っていたようです。部下を3人つけるし、車もあげるし、マンションも用意するという夢のような条件でした。けれどほとんど入社を決めていた時、お世話になっていたある会社の社長から連絡がありました。倒産した小松の店舗の債券を持っている方で、その店舗を活かして頑張ってほしいと言われました。妻も妊娠していましたしお金もない。とても悩みましたが大変恩義のある方でしたから、自分で会社を始めることを決断しました。そこが運命の分かれ道でしたね。

そうして自分の会社でどんな事業をやろうかと考えるようになりました。「どうしてカー用品の専門店はないのだろう」という疑問はずっと抱いていて。ヨーロッパの一流の物など、もっとこだわった良い物を置くカーショップってあってもいいのではないかという思いがありました。
そして今までにないこだわりのつまったカーショップを作ろうと決意し、25歳の時にカーショップ専門店としてWINGを設立しました。
おうちづくりにもこだわりがたくさん。理想の建材に出会うまで、5年かかったものも。伝統的でありながらもモダンな美しさが共存し、洗練されたあたたかさを感じます。
かわいいフレンチブルの姉妹は生まれてまだ3ヶ月。前に飼われていたわんちゃんのひ孫で、もちろん大切な家族の一員です。
30歳の時にGIRARD-PERREGAUX本社スイスで、オリジナルで作った限定モデル。K-1モデルの名前の由来はもちろんKIYOSHIのK。シリアル番号1番は息子様へプレゼント。
まだ知られていないブランドの良さを広める。
新たな価値観の気づきを与える。
初めはカーショップ専門店だったのですね。時計はどういう経緯で扱うようになったのですか?
事業を始めたばかりの頃はなかなかうまくいかなくて。それでも諦めずにとにかくいいものの良さを説明する、いいものの価値観は永続的に続くということを伝え続けました。するとだんだん売れるようになってきて。
28歳の時にとあるカーオーディオブランドの売り上げが日本一にまでなりましたが、次第に車業界の落ち込みが見えてきました。このままではいけないと思い、車だけでなく「車に乗るスタイル」を提案しようと考えました。そこで注目したのが時計でした。その中でも「いいもの」にこだわろうと思い探して見つけたのが当時まだ日本で流通していなかったブライトリングでした。その価値はお客様にも伝わり、徐々に売上にも表れるようになってきて、そうして日本で初めてブライトリングの専門店を作りました。周りからはロレックスやオメガの専門店でさえ難しいのにと厳しい意見を言われましたが、なんかやれる気がして。そこからですね、時計の価値を考えるようになったのは。

この経験を通して次第に「みんなに知られていなくてもいいものはあると伝えていく事が小売業の価値だ」と思うようになりました。素晴らしいものをお客様に広めていくことが、小売業の原点。今でもその考えは変わりません。ブライトリングがまさにそれで、今はまだ知られていないけれどだからこそ広めていきたいという思いでした。その思いに共感してくれるお客様は根強いファンになってくれる。そうしてどんどん広がっていき、今のWINGに続いています。

こう話すと順調に事業がすすんできたように思われるかもしれませんが、もちろん売れなくて失敗した商材もたくさんあります。本当にいいものを全力で追求する。そうして辿り着いたのが時計でした。事業をする上で大切にしてきたこととしては、会社を潰さないことです。2度の倒産を経験したこともありますし、大きい会社より「続いていく会社」にしたい気持ちが強い。継続は力なりと言いますが、何十年も続けていくと言うのは至難の技で。それでもそこに価値があると思っています。
カーショップ専門店WINGのオープン当時のお写真。穏やかな陽の光が差し込み、まるでセレクトショップのような空間。お店づくりにもこだわりを感じます。
ブライトリングのお取り扱いを開始した頃のお写真。当時日本では時計店に卸されていなかったのですが、ブライトリングに魅力を感じた石橋さんが車関係の会社を通じて取り寄せたことから直接取引が始まりました。素敵なご縁が未来に繋がっています。
30歳の時に初めてご自身で購入されたIWC。ゴールドのスクエアという魅力的な形が魅力で、「この時計に似合う男になりたいな」という想いで選んだ思い出の一本。今でも大切な場面ではこの時計を着けることが多いとのこと。
「いいものは、ずっと残る。」時代を超えて受け継がれてゆく価値。
「永続的に価値の続く本当に良いもの」を売ることで、
購入される方も、ブランドも、会社も、嬉しい。幸せの好循環ですね。
不思議なもので、僕が15歳の時に父親から時計をもらっているんです。当時は興味がなくて一度なくしてしまったのですが、30歳の時にふっと出てきて。それはオーバーホールして今でも使っています。どれだけ時が経っても使える素晴らしさが時計にはあると思います。

30年以上前に作られた時計を今も見ても綺麗だと思える。それって当時の職人やデザイナーがいいものを作ろうという思いがあったからだと思うんです。売り手は作り手の気持ちやその価値を具体的にライフスタイルに置き換えてお客様へ説明する。納得してもらう。そこに作り手と売り手の繋がりがある。価値がわかる人は価値を理解して購入する。大切に扱う。だから残る。それが本物と言われるものだと思いますし、ずっと続いていく理由ではないでしょうか。
15歳の時にお父様からプレゼントされたULYSSE NARDIN(ユリス・ナルダン)。碇のマークが付いているように、時計は昔船乗りが付けて、星の位置を観測しながら自分の位置を測定し、航海していていたというエピソードにはロマンを感じます。
ご自宅に源泉掛け流しの温泉が。150坪の広々とした豊かな自然の中で、ゆったりとした癒しの時間も楽しめます。
作り手のこだわりやストーリーのあるものには説得力のある魅力を感じますね。
「いいもの」の魅力を感じ取られるようになった原体験は何でしょう?
家族の影響が大きいと思います。家には茶室があって母親はお茶やお花を嗜み、父親は骨董品や絵画が好きでした。物にもこだわるタイプで、デュポンのライターやモンブランの万年筆を使っていましたね。思い返すとある程度いいものは小さい頃から見ている環境だったように思います。姉は美術系の大学に通っていたので一緒に美術館へ連れられて行ったりもしました。あまり興味はなくて何気なく見ていただけですが、何度も見ていると、ふと自分が止まる絵がある。それはいつまでも見ていられる。それってなんなのかなと考えたり。良いものを見ることで美意識は身につくということを教えたくて姉は僕を誘っていたのでしょうね。
カーオーディオの売り上げが日本一になった時の記念にプレゼントされた、ボン・ジョヴィメンバーのサインが入った世界に一枚だけのコレクション。
ご自宅の時計コレクション。ご自身の時計や奥様にプレゼントされた時計などを大切に保管されていらっしゃいます。
素敵なご家族ですね。愛情を感じます。
一家離散してから長年父親には会っていなかったのですが、兄から父親が末期の癌だと連絡があり久しぶりに会いに行って。元々多くを語る人ではなかったんですが、その時初めて父親とじっくり話しができましたね。その頃僕も経営者だったので、どういう商売をしているかとか。医者にもうやめてくださいと止められましたが面会ギリギリまで話していました。それが最期になりましたけど、男同士の話ができたかなと思います。桜が満開になった頃に危篤の連絡があったのですが、僕は仕事が入っていて。父親からは「商売を第一にしろ」と言われていたこともあって、仕事をして、終わった後すぐに飛んで行きましたがすでに息を引き取っていました。まぁ、幸せな人生だったと思いますよ。
歴史を感じるアンティーク家具も新築のご自宅に馴染んでいます。インテリアも、いいものは時代を超えることを実感します。
石橋会長と同い年のBREITLING NAVITIMERのセカンドモデルはスイスのアンティークショップで購入。
会社の後継ぎは実現できなかったものの、大切にされている想いはしっかりと受け継がれているようで深い絆を感じます。
それでは最後に、時計の魅力はどのようなところにあると思われますか?
時間は振り返ると一瞬です。でも楽しかったり辛かったり、いろんな時間をずっと共有できるものが時計だと思います。車は壊れたり写真はなくしたりしてしまうけれど、時計は世代を超えて残っていく。いいものは永遠に残る。そういう意味で時計は究極の物だと思います。

もう一つは機能美ですね。クロノグラフは時間を知ることができることと時間計るという機能も兼備しているところに魅力を感じます。機械として追い詰めた形の中での機能美、スタイルを持っている良さがあると思います。
ご自身のお名前とLVMH時計部門社長ジャン・クロード・ビバー氏による直筆サインが入ったZENITHの腕時計。
木のぬくもりがあたたかな薪ストーブ暖炉。寒い冬に大活躍です。
本日は貴重なお話しをありがとうございました。価値のあるものは伝わっていくということは様々なことに共通して言えるように思いました。
金沢は日本文化の残る街で。スイスの機械時計の文化と金沢の職人の技術、どちらも本物なので双方の良さは融合すると考えています。ですから店づくりにおいても無垢材を使ったり、欅の一枚板を使ったり。コーヒーカップは全て九谷焼を焼いてもらったりと工夫をしてきました。そのこだわりは、わかる人がわかってくれればよくて。今の流行に生きるのではなくて、自分が信じる何かに、何かを信じて生きていく事が大切。そうして生まれる価値あるものは受け継がれていく、まさに時計がそう証明してくれているように思います。
様々な困難を乗り越てこられたからこそ、ひとつひとつのお話しが心に沁み入り、大変勉強になりました。会長にご就任された今、これからもまた新たなチャレンジに取り組まれるのではないかと期待に胸が膨らみます。本日はお忙しいところ貴重なお話しをどうもありがとうございました。

RELATED BRAND
記事に出てきたブランド